東京地方裁判所 昭和53年(人)7号 判決 1978年8月24日
両事件請求者
高橋洋子
右代理人
宮里邦雄
同
小野幸治
両事件被拘束者
高橋英行
右代理人
重国賀久
昭和五三年(人)第七号事件拘束者
高橋正綱
同
高橋タマ
同
高橋綾
同第九号事件拘束者
高橋守
右四名代理人
菊池吉孝
主文
請求者の請求を棄却する。
被拘束者を拘束者らに引渡す。
手続費用は請求者の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求者(昭和二五年一〇月二七日生)と拘束者守(同年六月一一日生)は昭和五二年四月二〇日婚姻届を了した夫婦であり、被拘束者(昭和五二年九月二七日生)は右両名の間に生まれた長男であり、拘束者正綱(大正六年九月一五日生)、同タマ(大正七年二月二二日生)は守の父母、同綾(昭和二三年一一月三〇日生)は守の実姉であること、請求者と守とは昭和五二年一月頃から沖縄県那覇市〇〇一六番地で同棲を始めたうえ、右のとおり婚姻届を了し、被拘束者を出産した後、同年一〇月三〇日同市△△△△△町二―二〇△△△団地M一〇三に転居し、共同して被拘束者の監護養育に当つてきたこと、同年一二月一九日請求者が被拘束者を連れて家出し、請求者の父長崎和広(明治四三年一二月一三日生)、母マチ子(大正六年二月一日生)、兄長崎一郎(昭和二二年一月二三日生)の居住する同県平良市〇〇五九五の実家へ身を寄せたこと、守が昭和五三年一月一四日請求者の実家を訪問し、請求者に帰宅を勧めたが、請求者がこれを拒絶し、そこで守は同月一六日被拘束者を連れて那覇市に戻り、同月二一日まで同人の上司宅に世話になつた後、同月二二日被拘束者を連れて拘束者らの肩書住居地(守の実家)に帰り、被拘束者をその余の拘束者に預けてその監護養育を委託したうえ那覇市に戻つたこと、守が同年六月九日付で東京へ転勤となつて右実家に移住し、以後現在まで他の拘束者らと共に被拘束者を養育監護していること、請求者は守を相手方として昭和五三年三月二四日那覇家庭裁判所に離婚調停の申立をしたが、同人が東京へ移住したため右申立を取下げ、同年六月二〇日東京家庭裁判所へ同様の申立をし、同事件は昭和五三年家(イ)第三一二二号家事調停事件として係属中であること、
以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
そして、<疎明資料>を綜合すれば次の事実が一応認められる。
請求者と拘束者守は、婚姻届後間もない昭和五二年六月頃より日常生活の些細なことで口論が絶えず、その際守が請求者を殴打する等の暴力を振うこともしばしばあり、請求者が別れようと言つたところ一緒に死のうと言つて庖丁を持ち出し突きつけたこともあつたりしたことから、請求者は離婚を考えるようになつた。そして遂に同年一二月一九日請求者は離婚を決意し、右意図を守に秘したまま被拘束者を連れて家出し、請求者の実家に身を寄せたが、拘束者守はこれを知ると、とりあえず当座の生活費として七万円を送金したうえ、昭和五三月一月一四日請求者の実家を訪問し、請求者に対し帰宅を勧めた。
これに対し請求者は、守の滞在中、離婚の意思やその理由も明らかにしないで拘束者守との接触を極力避ける態度に終始し、ただ帰宅を拒否するのみであつた。この間被拘束者の世話は主として拘束者守が請求者の母長崎マチ子の助けを得て当り、請求者は自室にとじこもり勝ちで積極的に被拘束者の世話をしようとせず、また守も被拘束者を請求者に接触させまいとの態度をとつた。そして同月一五日若しくは一六日、請求者が一時被拘束者を抱いて同家二階の一呼に施錠してとじこもつたところ、守が追つてきて、手拳で同室の戸を何度も殴打するなど激しい見幕で部屋から出てくるよう求めたため、請求者は恐怖して被拘束者を抱き部屋から出て一階に降りようとしたが、階段途中で守が被拘束者を抱きとるという事態があつた。もつとも同月一五日には守は被拘束者を同家に置いたまま、午後約二時間にわたつて仕事のため外出したこともあつた。
同月一六日昼過ぎ頃、請求者は守が被拘束者を連れて那覇市に戻る予定であるのを十分了知しながら、積極的にこれを阻止する挙動に出ないままに外出し、守は午後三時頃まで請求者の翻意を待つたが、請求者が帰宅しないまま、遂に被拘束者を連れ、請求者の兄長崎一郎に車で空港へ送つてもらつたうえ、空路那覇市に戻り、同月二一日までその上司宅に被拘束者と共に滞在し、この間電話で請求者に対し帰宅を求めたが、応じられないままに、同月二二日被拘束者を連れて東京の実家に戻り、同人の養育監護をその余の拘束者に委託するに至つた。
請求者は、守が右上司宅に滞在中、父長崎和広から右上司を通じ、また同年三月初めころ直接守と会つて、離婚の意思を表明し承諾を求めたが、当初守は離婚の理由はないとしてこれを拒否していたものの、その後請求者が上京し、同月二五日から同年四月初めにかけて、請求者の実姉高田美子夫妻らと拘束者らとの話し合いが重ねられる過程において、守も離婚に応じるほかないとの考えになり、離婚については概ね合意をみるに至つた。しかし、被拘束者の監護については、遂に最終的合意には至らなかつた。
二右事実によれば、被拘束者は現在生後一年に満たない意思能力のない幼児であること、被拘束者が、請求者と拘束者守の共同親権に服すべき関係にあること、及び現在において請求者と拘束者守との夫婦関係は破綻に瀕していることが明らかである。
そして、拘束者らが、意思能力のない幼児である被拘束者をその下で監護養育することは当然に被拘束者の自由の制限を伴うので、それ自体人身保護法及び同規則にいう拘束に当るものと解すべきであり、また共同親権に服する幼児の引渡を請求する時には、人身保護法による救済の要件である拘束の違法性は、幼児を夫婦のいずれに監護させるのが幼児のために幸福であるかを主眼として判断されるべきであることは、最高裁判所の判例(昭和四三年七月四日民集二二巻七号一四四一頁)であり、当裁判所もこれに従うものである。
ただ、共同して親権を行使すべき夫婦が、夫婦関係の破綻により別居に至つている以上、夫婦が共同して監護することは事実上不可能なのであるから、夫婦の一方が単独で(若しくはその親族らと共同して)監護することが当然に不適法ということはできない筋合いであり、そしてこの場合の監護者の終局的決定は、家庭裁判所における調停、審判あるいは人事訴訟手続においてなされるべきものであつて、人身保護請求は、これらの手続により相当の期間内に救済の目的か達せられないことを理由に許されるものであるから、右幼児の幸福についての判断は、遠い将来にわたる長期の監護を想定してすべきものではなく、右手続において恒久的な監護者が決定されるまでのいわば暫定的期間についてなすべきものであり、かつ、人身保護法及び同規則の定める簡易迅速な審理によつて、現に監護している者の監護下におかれるよりも、他方の監護下におかれることが明らかに幼児の幸福に適合すると認められる場合に限り、右拘束が権限なしになされていることが顕著なものとして、人身保護請求が認容されるべきものである。(従つてまた、人身保護請求事件における結果自体が、右終局的な監護者の決定に重大な影響を及ぼすものであつてはならない。)
三そこで考えるのに、<疎明資料>を綜合すれば、次の事実が一応認められ、右認定を覆すに足りる疎明資料はない。
1 請求者及び拘束者守は共に現在及び将来とも自らが被拘束者を監護養育することに強く執着しており、また守の父、母、姉である他の拘束者ら及び請求者の父母である長崎和広、マチ子は共に守ないし請求者を援助して被拘束者をその自宅(各実家)で養育することに熱意を抱いており、双方の間に甲乙をつけ難い。
また請求者の姉高田美子夫婦は請求者が同夫婦宅において被拘束者を監護養育しつつ同居することを承諾している。
2 拘束者らが居住し現在被拘束者を監護している拘束者ら肩書住居は、地下鉄都営六号線○○駅に近い住宅地にあつて、附近は児童公園、医院等に恵まれており、家屋は拘束者正綱の所有(敷地は借地)の一階約一八坪、二階約八坪の二階建で、一階のうち約半分強は拘束者正綱が自営する製本業務用機械修理業のための工場となつているが、他に一階に五畳半、二階に六畳及び七畳の各和室があり、現在一階の部屋を拘束者綾が、二階の七畳間を拘束者守が、二階の六畳間を拘束者正綱、同タマが各使用し、被拘束者は二階に起居している。
右状況は決してゆとりがあるとはいえないが、東京都心部における住宅事情としては特に劣悪とはいえず、被拘束者は二階の二部屋を自由に往来して遊んでおり、その養育のために不自由はない。
拘束者正綱は右修理業により年収三〇〇万円、守は第一◎◎株式会社に勤務して月収約一三万円、同綾は△△銀行△△支店に勤務して月収約一三万円を得ており、経済的に被拘束者を養育するに足りる。拘束者正綱は右のとおり自営業をしているが、日中被拘束者の世話に手を割けないほど多忙ではなく、守は午前八時頃出勤して、通常午後六時三〇分頃には帰宅し、同綾は午前八時二〇分頃出勤して、一般に午後五時四〇分頃(ただし決算期の三月、九月には七時ないしそれ以後になることもある。)には帰宅する。
被拘束者の世話は現在拘束者らが協力して当つており、拘束者綾、守が出勤した日中は主として同タマが、綾及び守が帰宅してからは主として右両名がこれに当つていて、特段の支障はない。
拘束者正綱はやや耳が遠いうえ、胃腸が弱く、同タマは高血圧気味で薬を服用しているが、いずれも現在のところ日常生活や被拘束者の監護養育に影響を与えるほどのものではなく、また同綾については近い将来に結婚の予定はない。
守は、請求者との共同生活において請求者に対する関係では問題の行動があつたけれども被拘束者に対しては父親らしい愛情ある態度で接し、特にその出産後の一ケ月余りは食事の仕度や洗たく等の家事を、手伝いにきた請求者の母長崎マチ子と共によく努め、その後も被拘束者の世話をよく分担していたし、昭和五三年六月他の拘束者らと同居してからも、同様である。
このようにして現在まで被拘束者は拘束者らの愛情につつまれて、支障なく健康に生育している。
3 請求者が最終的に被拘束者と共に居住することを予定している宮古島の実家は、平良市市街地にあるコンクリートブロツク造二階建建物(宅地建物とも長崎和広所有)で、一階に洋間一(4.5畳)、応接間一(八畳)、和室二(各六畳)、DK一(六畳)、二階に洋間一(一〇畳)と囲碁会所(二五畳)があり、かなり広い庭があつて、そこに請求者の父長崎和広、母マチ子、実兄長崎一郎が同居しているが、右実兄は昭和五三年一二月に結婚して別居する予定である。
長崎和広は元小学校長で現在は○○○○(△△)平良支部長を、同マチ子は元官古○○事務所ケースワーカー主任で、現在は△△委員を、それぞれ勤めているが、両名はそれぞれ月一七万円と七万円の年金収入を得ており、実兄一郎は現在△△高校教員として勤務している。そして請求者自身も○○女子短大を卒業し△△航空株式会社にスチユワーデスとして勤務していた経歴を有し、今後三年程度は被拘束者の養育に専念する意思であるが、必要に応じ就職して自活する能力を有する。
このように、請求者の実家における被拘束者の養育環境は、その父母の協力をえて、経済的、住居的に十分なものがある。
4 なお、請求者は当分の間守と被拘束者の面接を確保するため請求者の実姉高田美子方で被拘束者を養育する用意があると述べるところ、右実姉は夫武司(○○○○○株式会社勤務)、長男(小学校三年)、長女(同一年)と共に、東京都板橋区△△△四丁目四番六号の二階建独立家屋(自己所有)に居住し、右居住は、一階に和室一(六畳)とD・K一(八畳)、二階に和室三(六畳一、4.5畳二)があつて、請求者と被拘束者とを同居させる余裕があり、拘束者らの居宅上り所要時間三〇分(地下鉄都営六号線)の距離にある。
四以上の諸事情を綜合して考えると、本件において被拘束者の監護を当面請求者と拘束者らとのいずれに委ねるのが被拘束者の幸福であるかは、にわかに決し難いところであり、拘束者らによる現在の監護よりも、今請求者に被拘束者を引渡すことが被拘束者にとつて明らかに幸福であると断ずることはとうていできないものというべきである。
なるほど請求者の実家は拘束者らの住居に比し広大であり、拘束者正綱及び同タマの将来の健康には若干の不安があることは否定できないが、未だ、生後一年に満たない被拘束者の当面の短期的監護にとつて、右決定的な理由になりうるものではないし、拘束者綾がやがて結婚して家を出るかも知れないというようなことも、本件において考慮する必要はない。
幼児は母の膝下で養育されることが好ましいとの一般論は否定しえないにしても、守は愛情をもつて被拘束者の育児を分担しているし、拘束者タマ及び同綾が母親代りとして献身的努力をしているのであるうえ、幼児の生育上生活環境の安定性、連続性が極めて重要であることもまた否定しえないところ、被拘束者は現在まで既に六ケ月(本件請求時まででも四ケ月余)に亘つて被拘束者らの下での生活に馴染み支障なく生育し一応安定した状態にあるのであるから、監護者が終局的決定をみるまでの間にとりわけ重大な事由もないのに、これを新たな環境に移すことは、その幸福のために得策でないというべきである。
その他、請求者による監護が拘束者らによるそれより特に優れているとみるべき事情は見出し難いのである。
五幼児に対し共同して親権を行使すべき夫婦が別居し、未だ監護者が定められていないような場合にも、人身保護請求が適用されるべき所以は、監護者の終局的決定までの間に実力行使による子の奪い合いを封じるところにもあると解される。従つてこの観点からは、拘束者の拘束がその始めにおいていかなる態様によりなされたかも、無視することはできないものと考えるので、この点をも考察するのに、前一項に判断したとおり、拘束者守が昭和五三年一月一四日から同月一六日まで請求者の実家に滞在した間、同人に一部粗暴な挙動はあつたものの、その挙動も請求者やその父母の意思を抑圧する程度のものとは未だ認められないこと、請求者は、同月一四日守か同家に着くとすぐ、守が主として被拘束者の世話をするのに委せたこと、請求者は守に対し自らの帰宅を拒絶するのみで、被拘束者を連れ帰つてはならない旨を明言したことはないこと、同月一六日守が被拘束者を連れて那覇市に戻る際にも請求者はこれを了知しながら、自らこれを阻止する何らの積極的行動もとらないままに外出して、これを放置したこと、同日守と被拘束者を請求者の兄が車で空港まで送つたこと等の事情に照らすと、守が同年一月一六日請求者の実家から被拘束者を連れ出したことは、請求者の明示の承諾によるものとは言えないにしても、請求者の監護を実力で排除して自らの拘束を始めたものということはできないのである。
なお、守との離婚問題が解決しない不安定な精神状態にある請求者の被拘束者に対する愛着の念がいかに大きいものであつても、かかる心情を理由に本件請求の帰すうを決するに由ないことはいうまでもない。
六以上のとおりであるから、拘束者守とその親族であるその余の拘束者らによる被拘束者の拘束が権限なしになされていることが顕著であるとは未だ認めえないといわざるをえないから、請求者の本件請求は理由のないものというべく、よつてこれを棄却し、手続費用の負担につき、人身保護法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(濱崎恭生 合田かつ子 大竹たかし)